絶滅アカデミー

Masatomo Tamaru

田丸雅智

東京という都市が、かつてはあった。
人々が日中に活動していた時代が、かつてはあった。
今では考えられないことだな、と、うだるような暑さの中でおれは思う。洞窟を利用した住居の中には、やせ細った人々がぐったりと横たわっている。すでに命が尽きているか、夜に備えて残り少ない体力をなんとか温存しているかだ。
しかし、夜になったところで食料にありつける保証はどこにもない。
周囲に緑は残っておらず、海こそあるが、空腹を満たせるほどの魚はいない。生命線の配給は、少し前から連絡もなく途切れてしまった。いまは各々が備蓄を切り崩しながら、ネズミやゴキブリで食いつないでいるような状態だ。
折に触れて、おれは後悔に襲われる。
自分たちは、いったい何をやっていたんだろう、と。
地球温暖化が環境を激変させる。
そう唱えられはじめたのは、ずいぶん昔だ。
しかし、人類の危機感は薄かった。
まだ大丈夫だろう。最終的には誰かが何とかしてくれるだろう。
そう思う者が大半を占め、人々は化石燃料を変わらず燃やし、持続可能なエネルギーの開発を怠った。
もちろん、中には危機感を持って行動を起こした人もいた。が、それはあくまで少数で、彼らの意識も次第にどこかで緩んでいって、状況を打破するブレイクスルーには至らなかった。
その結果が、このありさまだ。
海面はぐんぐん上昇していき、いまや関東平野は海の底に沈んでいる。残った陸地は熱波に襲われ、砂漠化も進む一方だ。
いったいどれくらいの人が生き残っているのか。
それを知るすべはない。
が、周囲で横たわる人々を眺めながら、おれは思う。
人類が積み重ねてきた長い歴史は、もう間もなく終わることになるのだろう。
恐怖、絶望、怒り、諦め。
さまざまな感情が渦巻くなかで、ぐぅ、と虚しく腹が鳴る──。
そのとき、ブザーの音が耳に届いた。
景色が急に暗転する。
「本日のシミュレーションは以上になります。ご退室ください」
そうだった、と、おれはハッと我に返る。ヘッドマウントディスプレイを取り外し、機材の並んだブースを出る。
「お疲れさまでした。次の講義は午後からですね」
スタッフに軽く頭を下げつつ、おれは休憩室へと入っていく。
深呼吸を繰り返すも、気持ちはまだまだあちら側のほうにあった。絶滅シミュレーターは五感をフルに刺激するので、中に入るといつも現実と仮想が逆転し、自分が本当に絶滅間際の世界にいるかのような感覚になる。
おれは決意を新たにする。
絶滅だけは、必ずこの手で阻止しなければ──。

滅びというのは、どうやら生物を進化させるひとつの鍵となるらしい。
地球の歴史をひもとく中でそんなことが明らかになったのは、数年前だ。
白亜紀末期の恐竜も、ペルム紀の三葉虫も、環境の変化などによって絶滅した。しかし、おそらくその絶滅がきっかけとなって、同じ時期に爆発的に進化した鳥類などの種が現れた。
現時点では、絶滅と進化の詳しい因果は明らかにはなっていない。
が、そんな中、いつしかこんな仮説が唱えられるようになっていた。
いずれにしても、絶滅は進化というものに寄与し得る。であるならば、それを逆に利用することで、意図的に特定の種の進化を促すこともできるのではないか。
さらに飛躍を許すなら、だ。
人類は自らを絶滅の危機に追い込むことで、様々な分野でブレイクスルーを起こし、文明をさらに前に進めることができるのではないか。
無論、本当に絶滅してしまっては意味がない。
絶滅を仮想的に経験するのだ。
そんなことが可能な生物は、地球史上、きっと人類が初めてであろうと思われる。技術の話だけではない。恐竜も三葉虫も、技術以前にそもそも自らが絶滅する未来については思考をめぐらせることができなかったはずだからだ。
その点、人類は自分たちの絶滅の可能性を知覚できる。そして仮想的にそれを経験する技術も持つ。
それならば、技術の力で自分たちを追い込んで、進化を促してみようじゃないか──。
こうして誕生したのが、絶滅の危機感をインストールするための学校、絶滅アカデミーというわけだった。
おれは工学系の大学院を卒業したのち、この学校に通いはじめた。
進路はすでに決まっている。宇宙太陽光発電に関連する企業に就職し、研究開発に携わることだ。その前に会社の制度を利用して、おれはここで学ぶことを心に決めた。
絶滅アカデミーへの入学は、就職する上で推奨はされるが必須事項では決してない。理由のひとつは精神面でリスクが低くないからだ。事実、アカデミーの同期にはトラウマになり、早々に辞めていった者が何人もいた。
おれも最初のうちは毎日のように人類絶滅の悪夢にうなされ、一時期は退学も頭をよぎった。が、やがて絶滅を乗り越えた明るい未来の夢を見るようになっていき、今では睡眠もモチベーション維持に役立っている。
適性の問題も存在している。人類の絶滅に触れて諦めの境地に至ったりしては意味がないし、焦燥感がパフォーマンスの低下につながるタイプにとってもこの方法は逆効果になる。
そのため、入学にあたっては慎重にメンタルテストや面談が行われ、誰でも入れるわけではない。
が、実際に社会で効果が出はじめていることもあり、アカデミーへの入学希望者は増えつづけ、分校も次々と設立されていっているのが現状だ。

昼食をとって、午後からの講義がはじまった。
学ぶのは、絶滅への見識を深める絶滅学だ。
「古代の絶滅と進化については、これまでの講義で十分に理解してもらえたかと思います」
教授が話をしはじめる。
「今日は現代の事例を紹介しましょう」
投影されたスライドには、こんな文字が映されている。

燕三条 業種転換の歴史

「新潟の燕三条の発展は、もともとは江戸時代、和釘の製造技術の導入にはじまったといわれています」
そして教授は、こう語る。
燕三条では和釘の製造と並行し、やがて銅器づくりも盛んに行われるようになった。けれど、江戸が終わると洋釘の輸入によって和釘は消滅してしまう。銅器産業もアルミニウム製品の広まりや第一次世界大戦などが要因で大きな局面に立たされて、町は滅びる寸前まで追い込まれる。
しかし、燕三条の人々は屈しなかった。スプーンやナイフなどの洋食器の製造で盛り返したのだ。
その後も燕三条は、次々と絶滅の危機に見舞われる。第二次世界大戦、ニクソンショック、オイルショック、プラザ合意……そのすべてを町は乗り越え、進化をしつづけてきた。
「燕三条ではいまの若い人たちも、絶滅への危機感をしっかり受け継いでいらっしゃいます。彼らはある意味でひとつの種となり、全体で危機感を共有して進化の糧にしつづけているわけですね」
教授はつづける。
「ということで、みなさんには来週から燕三条での研修に行ってもらいます。町ぐるみの感覚を肌で感じてきてください」
おれはメモを取りつつ、胸を熱くする。
自分もその感覚を受け継ぎたい。危機感を飛躍の糧にして、進化のために役立ちたい。
ふと、これまでの研修や講義のこともよみがえる。
過酷な環境の中、日々絶滅の危機にさらされているともいえる、ベンチャーにおけるインターン。
危機感を無意識下に植えつけるための催眠実習に、自己暗示のトレーニング。
絶滅シミュレーターで経験してきた状況も、今日のような環境の変化によるものだけではない。戦争による絶滅危機、隕石衝突による絶滅危機。宇宙人襲来という予期せぬものから、太陽消失という超長期スパンのものまで。
人類には、まだ時間が残されている。
そんな感覚を一掃するため。
もっともっと、危機感を持って生きなければならない。
スタッフから声をかけられたのは、講義室を出て帰ろうとしたときだった。
「すみません、先日の検査のことでお話が」
そういえば、と思いだす。この頃体調が思わしくなく、アカデミーに併設された病院で念のために検査を受けていたのだ。
おれはうなずき、病院へと連れられた。
そこで医者から告げられたのは、こうだった。
「残念ながら、末期の病巣が見られます。率直に申し上げましょう。余命はもって半年です」
瞬間、おれの頭は真っ白になる。
ウソだろ?
この先の自分は、人生を研究に捧げる気でいた。人類のエネルギー問題を解決するのは自分なのだという気概もあった。
それが病気? 人生が終わる?
信じられずに呆然となる。
次にこみあげてきたのは後悔だった。
平均寿命くらいまでは生きられるだろう。
これまでの自分は、漠然とそう思いこんではなかったか?
いつかは命が尽きることは理解していた。
しかし、それはあくまでいつかのことだと楽観視してはなかったか?
もっと、がんばれたんじゃないだろうか。
できることが、他にもあったんじゃないだろうか。
いや、今さら悔やんでも、もはやすべてが手遅れだ。
おれはうなだれ、ギリッと歯を噛みしめる──。
そのとき、ブザーの音が耳に届いた。
景色が急に暗転する。
「本日のシミュレーションは以上になります。ご退室ください」
そうだった、と、おれはハッと我に返る。ヘッドマウントディスプレイを取り外し、機材の並んだブースを出る。
「お疲れさまでした。次の講義は午後からですね」
スタッフの声に、おれは胸を撫でおろす。
そうだ、すべてはシミュレーターでの仮想の経験なんだった。
いまのところ、現実世界の自分には健康面での不安はない。
落ち着いて、その事実を頭の中でたしかめる。
しかし、だ。
おれは自分自身に釘を刺す。
命はいま尽きてしまってもおかしくはない。ブレイクスルーをもたらすためには、人類絶滅の危機感をインストールするだけでは不十分だ。
カウントダウンは、とっくの昔にはじまっている。
おれは決意を新たにする。
個人の絶滅──死の危機感も、この身にしっかりインストールしなければ、と。